アメリカ帰りの掲示係です。出発前には、まだまだ堅いつぼみだった桜が、帰ってみるときれいに咲いている・・・、10日間ってそんなに長かったのかなぁなんて思っています。帰ってからのもろもろの後片付けも一段落しつつありますので、そろそろみなさまにご報告をはじめようかと。でも、あまりに盛りだくさん過ぎたため、少しずつお話していけたらと思います。
3月18日(火):出発2日前
ブッシュさんの「48時間宣言」を受けて、スタッフ一同かなり参りました。この調子で行くと、48時間後ってちょうど出発の日。そこで、スクール長はアメリカ遠征部隊の保護者会長に電話をしました。
「以前の保護者会でもお話しましたが、このまま行くと、出発当日に開戦しそうです。チームが成り立たないようなら、体験旅行自体をキャンセルしたいと思います。保護者の方々に、最終の判断をしていただくよう連絡をお願いできませんか。キャンセルしたい方は、直接私まで連絡ください。」
スクール長だけは、たとえ戦争で旅行が中止になったとしても、アメリカのみなさんのところにお詫びに行く・・・と言っており、それを聞いたある保護者は「それなら、うちの子も連れて行ってくれないでしょうか。」なんて言ったそうです・・・。
その後、スクール長は朝まで連絡を待ってみましたが、どこからもキャンセルの連絡はなし。
かくして、戦争開始まで秒読みの3月18日、中学生16名、選手の家族2名、スタッフ2名の計20名のアメリカ遠征部隊は、2日後の出発を決定したのでした。
3月20日(木)-日本時間
いよいよ出発の日を迎えました。11時に松山空港に集合。・・・と同時に、アメリカが攻撃を開始したとのニュース・・・。「やっぱり・・・」とは思っていましたが、もう行くと決めた以上、いまさらジタバタしても始まりません。空港で、出発前の参加者を1人ずつデジカメで撮影しました。さまざまな体験を終えて、帰ってきたときには、どんな顔になっているんだろう・・・と楽しみに思いながら。
チェックインを済ませて、荷物を預けて、さぁ、搭乗ゲートに向かおうとしたそのとき、「コーチぃ・・・」後でなんともいえない声が。振り返ってみると、チームの荷物が入ったスーツケースを担当する係になったY太が、「これダメだって・・・」アメリカへの視察以来、お世話になった方々のためのおみやげが、重量オーバーなんだそうです。「そんなことがあるのね」なんてのんきに言っている間に、優しい空港のお姉さんがなんとか対応してくれ、今度こそ無事に乗り込めました。
(NH590便 松山12:15-13:35羽田)
羽田についたら、今度はバスに乗り換えて成田まで向かいます。1時間ちょっとの睡眠をとる者もいれば、乗っている間中エンドレスにしゃべりつづけている者も。この先大丈夫かなぁ・・・。
成田では、ギリギリの時間にチャックインカウンターに飛び込みましたが、飛行機の出発が遅れ結果オーライ。なんとか出国手続きを終え、飛行機に乗り込みました。それにしてもエコノミークラスは狭くてつらい・・・。うちの大きなスクール長、エコノミー症候群になったらどうしよう。
国際線の飛行機内では、スクール長の下した消灯時間の命令を守らず、各座席の前についているテレビゲームをしつづけている選手数名に大きなカミナリが落ちました。機内食は、うーん・・・、コメントを控えます。(NH8便 成田17:20-9:35サンフランシスコ)
3月20日(木)-アメリカ時間
日付変更線を越える関係で、アメリカに行くときは1日得します。もう1回20日のやり直し。飛行機が到着後、サンフランシスコの空港内で、プチ迷子になりました。みんなでスーツケースを引きずりながら、あっちへウロウロ、こっちへウロウロ・・・。その原因は、方向音痴の私なんです、みなさんごめんなさい。このころから、男子キャプテンM前の顔色が少しずつ変わってきます。出発前日にあった熱が、ぶり返している様子。なんとかサクラメントまで持ちこたえてください。
(UA6754サンフランシスコ11:30-12:15サクラメント)
さまざまな苦難を乗り越え、なんとか国内線に乗ると、着いた先は目的地サクラメント。空港にはたくさんの方がお迎えに来てくださっていて・・・、感激です。
その日は、選手と私は天理教の教会(チャーチ)へ、スクール長、選手以外の中学生、選手の家族はホテルに泊まりました。ただし、発熱のM前だけは、選手とはなれてホテル泊。到着後、即病院に担ぎ込まれた後、スクール長と同じ部屋に泊まり、スクール長の厚い(熱い?)看病を受けました。
夜は、チャーチで田所さんファミリーがバーベキューパーティーを開いてくださいました。そこで、ハンバーグやソーセージを焼いて、ハンバーガーやホットドッグを作りました。すごくおいしかった!
さぁ、明日からは本格的に活動開始です。
3月21日(金)
こちらに来て最初の体験は、なんとサクラメントのファーゴ市長の訪問です。「しかもバスケットボールのチームなんだから」と言われて、みんなジャージ姿での訪問。日本では考えられません。ファーゴ市長は優しそうな女性で、松山市の中村市長からお預かりしていった親書とおみやげをお渡しし、代わりに中村市長宛のおみやげをお預かりしました。
実は出発前、松山市の中村市長をみんなで表敬訪問し、そのときにサクラメント市のファーゴ市長宛の親書をお預かりしていたので、それのお返しというわけです。みんなにも1人1人におみやげを用意してくださっていて、大変な記念になりました。記念といえば、われらがスクール長はファーゴ市長とハグのあいさつができたこと、嬉しそうに自慢していましたよ。
その後、山口県出身の下院議員ロバート・マツイさんのオフィスを訪問し、お昼には、日本食レストランでおうどんを食べました。マツイさんのオフィスで、棚に飾られた人形を発見。旧ソ連のゴルバチョフさんだったのですが、ある女子は「あ、この人、頭から血が出とる・・・」ゴルバチョフさんって、頭の大きなシミがトレードマークだったじゃないですか。ゴルバチョフさんなんて知らないと言い切る中学生たち。みんな、歴史の成績は大丈夫なのかしら?
午後からは、1時間ほど体育館を借りて練習をした後、SASFトーナメントのオープニングセレモニーに参加しました。そこでは、全員に参加記念品のTシャツを頂きました。しかし、「セレモニー」とは名ばかりで、適当に集まった仲間同士でのゲームがどんどん行われます。男子も女子も、年齢も関係ありません。
わがレジェンドのみなさんは、女子キャプテンのYちゃんを除いては、かなりの及び腰。入っていきたい気持ちはあるけれど、入っていく勇気が出ない・・・。そういう後ろむきな気持ちを、アメリカに来て前向きにするんじゃなかったの?
でも結局は、アメリカ人の子どもたちに声をかけてもらい、何とか友達作りができていたようです。みんなよかったね。 |
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